ておとあくび 時々日記。

日々のちょこっと笑えること

最近のこと

3月後半はバタバタと日が過ぎていきました。

23日から母が泊まりに来て

28日に入れかわりに長女と赤ちゃんがお泊まり。

2泊の予定が長女のダンナくんがコロナになったため

帰ってこないでー!と、なり

火曜日の朝まで5泊して行きました。

あわせて10日間(  ´ ᵕ ` ;)


母は夏前頃にはうちの家に引っ越してくる予定。

泊まっているあいだそのことについての話し合いなどで、

おんなじこと(以前から伝えていることも)を

何度も繰り返し聞いてくるので最後のほうは

発狂しそうやった 

年々ひどくなってきたと感じるのはワルクチ

深く悪意のこもったものではないし

グチのようなものなんだろうけど

ほんと聞いてるだけでイヤ〜な気持ちになる

こんな人じゃなかったとおもう若い頃の母は。

でもこれも環境や年齢のせいもあるかと。

かるく注意すると黙ってはくれるけれど。

いっしょに暮らしていけるやろか わたし。。


母が帰るその日に長女たちがやってきて

たのしい時間を過ごせた母を夜に送りました。


長女と赤ちゃんからは若ーいパワーをもらい

忙しかったけれどたのしく笑いのある日々でした。

赤ん坊はよく笑うようになって声もおおきくなり

泣いていてもおならしていても何していても

ますますかわいくなっていたよ♡

今回ておちんは

赤ちゃんの足や手(顔は遠目に)をフンフンにおうのを許可されて

得心したのか里帰りのときほど吠えなかった。

かしこいやんか♪



そしてきのうの午後から寝る寝る!

わりと神経質なところがあるので

普段いない人がいるとぐっすりお昼寝できないコ


きょうも爆睡ちゅう



最近のかわいいておちん




⭐︎

わたしの職歴 バイト編②

高校卒業後は

量販店向きの婦人服全般をつくっている

大阪本町にあるアパレル会社に就職し

営業部の事務に配属になった。


まだ女子社員がお茶汲みとかしていた時代

営業部は男ばっかりで

事務所のなかもタバコの煙でもうもう〜

ボーナスは各部の部長からの手渡しで、

札束をズボンのポケットにつっこんだまま仕事している営業マンもいたよ 笑


自社で展示会もあって、

そのときには準備のお手伝いでデザイナーさんと

いっしょに仕事できて

この服をつくりあげた一員のような気がして(カンチガイ)

めちゃ楽しかったなぁー


同じ部に配属された同期の子はめちゃ美人

スーパーの婦人服コーナーのインド綿製品の

販売応援に行ったときのこと

通りがかったおっちゃんのお客さんに

「ねーちゃんインド🇮🇳か!?」

って言われたらしい。

帰ってきてその話を聞いたときには大爆笑

その頃はちょうど最後のクッキーフェイスが流行っていて

その子もわたしもこんがり肌(ファンデも濃い色)

おまけに彫りの深い美人さん

おっちゃん言っちゃうよねー!笑笑


書いていたらいろいろ思い出して脱線してしまう。

この会社には丸2年間お世話になりました

とてもとても影響を与えてくれた人たちとの出会いがあった

ふかーくて色濃い2年。


そしてその春からわたしは

服飾専門学校の生徒になった。

まとまったお金も貯まったし

やりたいことやろうと思って!

この年に車の免許も取得した。


またバイト生活のはじまり。

ひとつめは

学校が阪急三国駅(aiko〜♪)の近くにあったので

歩いて地下鉄の東三国駅まで行き江坂まで。

東急ハンズにあった

カフェ・ド・パリ

焼きたてクロワッサンやガトーのお店

かわいくてオシャレなお店で働けてうれしかったな。

そこで未知の食べものをいろいろ知った

タルトタタンにクレープのグラタン

はじめて食べたときは感動でふるえたよ。

ソーセージをクレープで包んでホワイトソースをかけて

オーブンで焼いたもの

売り切れになるときもあるくらい人気やった

なんか名前がついていたとおもうけど忘れた。


そこは学校の休みの日に通うのが不便で辞めたんやったかな?


ふたつめは

なんとスナック

わたしのキャラじゃ雇ってもらえないやろなーと

ダメ元で面接してもらったら

働いていいよって。


お酒もほぼ飲めないし、終電までしか働けない条件で

なんでスナックに?と聞かれ


海外旅行に行く費用を早く貯めたいから

的なことを言ったら

なぜかオーケーしてくれた綺麗なママさん

北新地のビルのなかの

カウンターだけのほんとにちっちゃなお店やった

スタッフのおんなのこはみんなわりと若くて

仲良くしてくれたな〜

中国からの留学生の女の人が

小さいまな板の上で器用に材料を刻んで作る水餃子は

お店で出せるほどおいしくて感動した。


お店が忙しくなるのはだいたいわたしが帰らなくてはいけない時間。

タクシーで帰るには遠すぎる

終電は逃せない。


はじめはフツーのおんなのこがいてもいいかと思ってくれたかもしれないけれど、やっぱりね。

お店が盛り上がってきたときに水差すように

そそくさと帰って行くコはいらないよねー。


3ヶ月(日数は少ない)は働かせてもらえたかな?

必要な旅費がほぼ貯まったころ

辞めてほしいって言われたけれどママさんは優しかった

もっとカジュアルなパブのようなお店を紹介してくれた。


みっつめは

旅行から帰ってきたあとに紹介してもらったお店で、

学校の友だちもいっしょにそこで働いた。

ここにはおんなのこが好きなおんなのこがいたり、在日のイケメンがいたり、わけありなおっちゃんがいたり。


スナックとパブでは お客さん スタッフ

世の中のいろいろな種類の人間(言いかたワルイ)

と出会ったとおもう。

みんな世間知らずなわたしに

会社員時代とはまたちがう

良くも悪くもいろんなことをおしえてくれた。


学校は2年コースで終了

バイト生活もこれで終わった。


つぎは正社員編へ続く。


⭐︎




2年前の3月6日のておちん

かわいいー♡




⭐︎⭐︎

わたしの職歴 バイト編①

アルバイトのことを書かれたブログを読んで、

自分のバイト歴を思い出してみた。


わたしが入学した高校は新設校

体育館の完成が入学式に間に合わず

泥だらけの校庭で行われた

すこしは楽しみにしていたバスケ部入部だったけど

先輩もおらず人数もそろわず

いろいろとつまらなくてすぐやめてしまった。


そんなときに中学時代の友だちにさそわれて

高校1年生の夏休みに初めてアルバイトをした。


勤め先はファミレスのビッグボーイ

(友だちのお姉ちゃんがバイトしていた)

そこは夏休みだけやったけれど

めちゃくちゃいろんなこと教えてもらった気がする。

もの覚えの悪いわたしは、堪忍袋の尾が切れた店長から

おもいっきりしかられた

おとなの男の人から本気で怒られたんは初めてやから

こわかったしじぶんの甘さを自覚できた気がする。

それからは宿題そっちのけで必死に仕事のことを覚えた。

おかげで辞めるときには残念がってもらえたけれど、終わっていない宿題がチラホラと・・


高1

夏休み ファミレスビッグボーイ

冬休み(年末)   珍味の工場でパック詰め

春休み お菓子の倉庫で値札シール付け


高2

ふつうの日にもバイト始める

スーパーの店先の果物屋さん

これは母が嫌がったので2、3ヶ月でやめた。

くだもんやのおっちゃんにはめちゃ気に入られていて

やめたあともスーパーで会ったら

新しい人よりあんたのほうがよかったわー

って言ってくれた 笑


夏休み 市民プールの売店

これは監視員のバイトの大学生のお兄ちゃんたちと

友だちになれて楽しかったわー笑


秋頃からファミレスのフレンドリー

これは高校卒業まで続けた


冬休み ファミレスと別に年末だけのバイトでお肉のパック詰め


春休み お店の若い社員さんがバイトたちを初ディスコに連れて行ってくれたんやった。


高3

ファミレスフレンドリー

単発でホテルの宴会のウェイトレス


高校時代のバイトは果物屋さん以外は

ぜんぶ誰か彼か友だちといっしょにやっていた。

なので できたんやとおもう。

わたしの部活動みたいなもん??


イヤなこともなくはなかったけれど、

働くのはぜんぜん苦じゃなかったよ

いろいろな仕事がおもしろかったし

いろいろな人間関係の勉強もできたし 笑

それにお金が欲しかったから。


わたしが小2のころ父の小さな運送会社がつぶれて

よくある話の

社員の保証人になっていて持ち逃げされて

借金負わされた? みたいな。

父も母も帰ってくるのが遅くなり

晩ごはんは屋台で買ってきたたこ焼きだけ とか

家の電話に座布団かぶせたり(漫画笑)、居留守使ったり。

そのうち父の知り合いの運送会社の事務所の2階に間借りするため

夜逃げのように引っ越したり。

父が借金とりに両腕掴まれて連れて行かれるのを見たこともある。

当時は子どもだったんでそこまで深刻に考えてなかったけれど

おとなになるにつれ

あーそうゆうことやったんか。

ってかんじ。


学校でお裁縫箱が必要になったときに

ほとんどの子が学校で購入していたとおもうのだけど

わたしは買ってもらえなくて

(お金の問題じゃなく勿体無いと思ったのかは謎)

母が使っていたピンクのセルロイドの箱に

家のハサミや針、糸なんかを入れて持たせられた

ほかにもそんな子はいたようにおもうし

恥ずかしいことではないけれど、

その箱を男の子にからかわれて

ものすごく悲しかったおぼえがある。

いまなら反対におしゃれやん!っておもうけど。


中学生くらいまでは

母は自分の好みでわたしのものをすべて買っていた気がする

小さいころからわたしが欲しいものとは

ちがうものをあたえられていたような気がする


でも結局は

いまは その好みを受け継いでいるという。。


事務所の2階の間借りは約2年で終了

無事 借家で狭かったけどふつうの家に引っ越せた。

高校時代にはお小遣いはいちおうもらっていたけれど

兄が私立に行っていたので家に余裕はなかったとおもう

働けるなら自分で稼いで好きなものを

誰にもなんにも言われず買いたかった のかなぁ

部活してないからそんなことに考えがいっちゃって‥


部活に熱中してこなかったことって

いまでもなんかコンプレックスやもん。


なんかおもいだしたことを書いてみた。

まだまだほかにもバイトやってます

続きもまだ書きます!


⭐︎



へーそうやったん!しらんけどー。




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